出会いは必然に

 

 自分の気持ちが、こんなに揺らぐことがあるなんて思わなかった──

「ねぇねぇ、向坂さんは、彼女とか居るんですか?」
「あっ、どんな人がタイプなんです?」
「私も知りたーい!」
「……」

 ランチタイム、たまたま僕は食堂に来た。これは本当に、偶々だ。お昼ご飯はいつも朝、コンビニで調達している。そして、食べるのは医務室。今日に限って。今日に限って、いつものルーティンであるソレを忘れてしまったのだ。

 ……その結果がこれである。

「向坂さん? わっ、凄い、睫毛長ーい!」
「和食がお好きなんですか? 此処の食堂の焼き魚、美味しいですよね、私好きなんです!」
「あっ、ちょっ……まださっきの質問答えて貰ってないんだから! 静かにしててよもう!」
「えー? 私だって喋りたいし!」

 その結果が。

 騒がしいのは苦手だ。特にこの人達にも興味がない。自分の好きなタイプだとか、割とどうでも良い。昼食時くらいゆっくりとしたいのに、こうも騒がしくては落ち着いて食事をすることも出来ない。──失敗した。

「……すみません、ゆっくり食事をとりたいので……」
「ホラー! 向坂さんに怒られちゃったじゃん! ちょっと静かにしててよね!」
「あんたが煩いんでしょ?」
「はぁ? 酷くない? それ」
「隣の席独り占めしないで、代わってよ!」
「まだ食べ終わってないんで? 無理ー」

“……皆変わらないんだけどな……僕に言わせれば……”

 はぁ、と溜め息を吐くと、取りかけて止めていたいた魚の小骨の残りを取り始めた。この食堂の焼き魚の、焼き加減は絶妙だ。皮はパリッと、身はホクホク、丁度良い塩加減に、魚自体によく脂も乗っている。
 今日この食堂に来たのは不運だと思っていたが、美味しい焼き魚を食べられるのだから、そう言う意味では幸運だったかもしれない。

「──向坂さん?」
「……何でしょう?」
「そ、れ、で! 彼女、居るんですか?」

“はぁ……まだ続いていたのか……”

「……居ませんよ」
「えっ! 本当に!? じゃあ……」
「と言うか、必要有りません」
「……え?」

“小骨はこんなものかな”

 まだ湯気の立っている魚から、香ばしくて良い匂いがする。

“この小鉢の、ナスの揚げ浸しも好きなんですよね”

 先に揚げ浸しに手を付ける。油の染み込んだナスは美味しい。この出汁の味も、薄くもなく濃くもなく、好みの塩梅だ。

「……1人って寂しくないですか?」
「どうして? 寂しいとは──何が?」
「えっ……」

 意識は食事に向かっているが、聞こえていない訳ではない。何が寂しいのかはちょっとよくわからない。男女の付き合いというのは、現状必要だとは思ってない。
 だから、彼女がいなくて寂しいだとか考えたことはないし、特段必要だとも思っていない。

“どうして、そんなことを聞きたがるのだろう?”

 それに、僕にそんなことを聞いて、だからどうだというのだろう。

“あ、魚が冷めてしまう”

 小鉢から箸を離し、魚へと戻す。まずはそのままの味を堪能する。

“──うん。美味しい”

 ご飯が雑穀米を選べるのも嬉しい。あのプチプチとした食感が好きで、白米も好きだがついつい雑穀米を選んでしまう。
 今日の昼食は満点だ。……この賑やかな状況さえ除けば。

「じ、じゃあじゃあ、好きなタイプは!?」
「それ! 教えてください!」
「私も知りたい!」
「どんな人が好きなんですか!?」

“……いつになったらゆっくり食べられるのだろう……”

 口の中のモノを飲み込んで、本日2度目の溜め息を吐いた。食事はこんなに美味しいのに。何故か、味気ない気がする。

「……特に無いですよ」

 早く終わらせたかった。自分にとって、何の面白味もない。ただただ、ゆっくりと食事をとれれば、それで良いのに。

「えっでも、可愛い方が良いとか」
「オシャレだとか、仕事が出来るとか??」
「家庭的な人が良いとか、一歩下がってついてくる人が良いとか、そういうのないんです?」
「……無いですね、今は」

 『無い』と言えば、話も終わるだろう。

「でもでも! 今まで付き合った人とかいないんです?」
「向坂さん絶対モテるからいますよね? その人がどんなタイプだったとか!」
「そうですよぉ、好きじゃなきゃ付き合わないだろうし?」

“……話が終わらない……”

 これで3度目の溜め息だ。

「知りたい女の子、いっぱいいますよ?」
「向坂さん、女性社員にすっごい人気なんですから!」

 うんうんと頷きながら、他の女性も聞いている。こちらに向けられた目は、好奇の目だ。キラキラというか、ギラギラというか。

“……そうだ、折角大根おろしもついているし、醤油を少しかけて食べたいな”

 デーブルを見るも、ある筈の場所に醤油がない。片付けられてしまったのか、それとも誰かが持っていってしまったのか。

“厨房の人に聞いてみようかな”

 そう考えていた時、ふと目があった、隣のテーブルの女性と。彼女は手に醤油らしきモノを持っている。彼女の手元の先には、同じ焼き魚定食が置いてあった。僕が考えたように、彼女も大根おろしに醤油をかけようとしたのだろう。

 驚いたように彼女は僕から目線を外す。そしてすぐ、僕の食事に目を向けた。そのあと、キョロキョロと此方の周りを見回している。すると次の瞬間、何を思ったか、急いで醤油をかけていたのだ。

“あ……あれはちょっとかけ過ぎなんじゃ……”

 塩分過多になってしまう。そんなことをぼんやりと考えていた。

「ね? 教えてください!」
「参考にしたいんです!」
「私も!」

“……そうだ、この尋問のような時間はまだ終わっていなかったんだ”

 うんざりして少し強めに言おうかと考えた、その時。

「……あのー……」
「……はい?」

 醤油をかけ過ぎていた彼女だ。

「これ、醤油……探してました、よね?」
「あっ……」

 そうか、急いで醤油をかけたのは、僕が探していると分かったからなのか。そして、丁寧に席まで持ってきてくれた、と。

“……優しい”

 醤油を受け取り、自分の皿にかけると、彼女に手渡した。

「有り難うございます。テーブルに置いてなかったので、助かりました」
「い、いえ、とんでもないです」
「……すみません、急いで醤油使うことになってしまいましたよね?」
「大丈夫です! 気にしないでください!」

 彼女はニコッと笑うと、軽く会釈して自分の席に戻っていった。
 思わず、彼女を目で追った。彼女は僕の視線に気付いて、再びニコッと笑うと、食事に戻った。

“あ……思い出した”

 彼女は、いつもコンビニで見かける人だ。向こうも気付いているかもしれない。同じような時間にコンビニで会う。

“……いつも紅茶を買っていたっけ……”

 別に周りの人間には然程興味は無い。なのに、そうだ、覚えていた。彼女のことは。何故、何故──

 その時、自分の心の奥で、何かが動いたような気がした。

「……さん? 向坂さん?」
「……え?」
「もう、それで、タイプ!」
「あー……そう、そうですね、僕のタイプは……」
「タイプは!?」
「1人でゆっくり食事をとらせてくれる人です」

 彼女を見習って、ニコッと微笑んでみる。
 僕の周りにいた女性達は、何も言わずにそそくさと離れていった。

“……早く言えば良かったのかな”

 この日から、僕はコンビニでいつも見かけた彼女を探すようになった。と言っても、お昼ご飯を買いに行けば、その時は大体会う。だから、逆に会わない日は、何かあったのかと心配になっていた。

 声をかける訳ではない。いきなりそんなことをして、少し喋ったことがあるとは言え、警戒されてしまっても辛い。ただ、たまに視線があった時、あの時と同じ笑顔で軽く会釈をしてくれるのは嬉しかった。

 自分が、そんなことを考えるなんて。男女がどうのとか、付き合いが云々だとか、そんなことどうでも良かった筈なのに。彼女を見ていると、時々とても切なくなる。

 会えても会えなくても、胸が締め付けられるような、その感覚は消えなかった。

 そして、ある日──

 規則的に、コンコン、と2回ノックの音が部屋に響いた。

“……誰か体調でも崩したんですかね?”

「……はい、どうぞ」

 ガチャリ、とドアノブを回す音がして、独特の音を立てながら、ゆっくりとドアが開けられた。

 ──目の前には、あの彼女が立っていた。

「……あ! こんにちは!」

 思わず声が弾む。
 軽く会話を重ねると、今日が不用品整理の日で、彼女が医務室の担当だということが分かった。

“今日を逃したら、もうきちんと話す日が無い気がする──”

 2人きりで会えた嬉しさと、これから自分が伝えようとしていることへの緊張が、自分の胸を締め付ける。
 きっとこれは、神様の計らいなのだろう。それならば、遠慮なく乗るとしよう。偶然ではなく、必然だったのだ、と。

「そうだ。【掃除中】の札、表に出しておきますね」

 誰にも邪魔はさせない。僕の大事な、この時間を──