食前の果実酒は銀の器で

まばゆくも温かな光に、わたしたちは包まれていた。

高潔と慈愛に満ち溢れる、栄光の彼方。
愛する人の羽根を撫で、微笑みあう、ただそれだけで、至上の喜びを以て仕えることができていた。

澄んだ空よりも美しい、彼の瞳が好きだった。



荒れ狂う稲光の黒雲の中で、裁きの槍が突き刺さる。
貫かれた彼の身体から、白い羽根が焼きもがれる。血の噴き出した背中からは蝙蝠のような翼が生え、カラスの羽毛が植わっていく。
輝く髪は闇色へ転じ、優美であった手足の爪は獣のそれと同じになった。

「      ! 」

手を伸ばしたその先で、愛しい人と仲間達は一斉に地上へと堕ちていった。

***

がばっ! と跳び起き、胸を押さえる。
どくどくと早鐘を打つ胸に、(静まれ)と何度も言い聞かせながら、わたしは深く息を吸い、時間をかけてゆっくりと吐いた。窓から差し込む月光の中で、白い吐息がいくつも生まれる。
隙間風に首筋を撫でられ、わたしは思わず身震いをした。夜着はすっかり脱げていて、何の意味も成していない。

「おや? しばらくはまだ寝ていなさい。眠ったばかりなのだから」

穏やかな声に顔を上げれば、飴色ランプの光の中で、半裸姿の恋人が白シャツを羽織るところだった。
しなやかな腕の筋肉は動かす度に隆起して、そのままするりと袖に隠れる。長くて優美な指先が、白蝶貝でできたボタンを一つ一つ留めていく。肩まで届く黒髪は瞳の上まで影を落とし、繊細な鼻梁をくすぐっていた。

「どうしたの? 微動だにせず私を見て」

銀のカフリンクスをつけ終えると、ルカはわたしの胸元を見た。

「──うん。雪原に咲く赤薔薇の蕾だ。いい眺めではあるけれど、ちゃんと服を着ないと風邪をひくよ」

わたしは慌ててシーツをたくし上げると、胸を隠して相手を睨んだ。
脱がせるのだって、キスマークだって、いつもそっちから仕掛けるくせに。

結局それから二度寝をして、すっかり疲れが取れたのは、日が高く昇ってからだ。
わたしが身支度を済ませたところに、両手いっぱいに荷物を抱えてルカが部屋に戻ってきた。

「信者の皆さんから、兎肉の塩漬けと白パンと香味野菜を貰ったよ。今日はこれでシチューにしよう」

受け取りながら外を見れば、去り行く人々の姿が見えた。
私とルカが数日前から一緒に暮らし始めたことは、町中の人が知っている。

──教会の神父様が、彫刻⼯房の娘さんに求婚をしたんだって!

──なんでも悪魔が取りついちまって、祓うためには神父様の子を産むしかないんだとよ。

──おお、その身を呈してまでも信者を守ろうとされる……なんてお優しい方だ!

噂は町中を駆け巡り、会う人は皆、口々にルカの決断を褒め称えた。
異を唱える人なんて一人もいない。誰もが皆がお似合いだとわたし達を祝ってくれた。
……きっと、わたしの知らないところで、たくさんの枕が涙に濡れているんだろうけど。彼の信者(ファン)はかなり多い。

食事の支度は二人で行う。といっても、わたしの料理の腕はいまいちなため、そのほとんどをルカが作る。
少しは手伝ってみようかと、ナイフを手にしてみるんだけど、

「大丈夫、私がやっておくよ。あなたは食卓を整えて」

と、やんわり誘導されてしまう。
テーブルを拭いて食器を並べれば、後は何もすることがない。流れるような手さばきで野菜を刻むルカの姿を、ぼーっと眺めているだけ。

(そうだ、花でも摘みに行こう)

と、わたしはいいことを思いついた。
工房のみんなで食事をする時は、テーブルに花を飾るのが幼い頃からのわたしの役目だ。特に白い花がお気に入り。
ルカは塩漬けの兎肉を削ぎ切ることに集中していたため、わたしは声をかけずに裏庭へと出た。
手入れの行き届いた花壇には、花など一輪も咲いていない。

(だよね、冬だもん)

納得はしたものの、そのまま戻るのも悔しくて、わたしは周辺を散策した。細道から少しそれた場所に狙いを定めて歩いていく。
やがて、小さな白い花が数輪咲いている場所に出た。スノードロップだ。
屈み込んで眺めていると、荒々しい足音が近付き、いきなり手首を掴んで引き上げられた。

「ちょ……っ? えっ、ルカ? な、ん……で」

息ができないほどに強く強く抱き締められ、わたしは混乱した。なんとか抜け出そうともがいたり首を伸ばしたりしているうちに、不意に、ある事に気が付いた。

──ルカの影に、羽根が生えている。

冬の薄曇りの空の下では、灰色の影しか生まれない。
それでも確かに彼の影には、大きな羽根が背中から羽ばたくように広がっている。

わたしは目を閉じ、息を吐いた。
あの夜から、ずっと、何かが喉まで出かかっているような……自分の中に、もう一人の自分が重なっていて、その自分だけが一人でもがき続けているような、もどかしい感覚が続いている。

まるで、羽ばたき方を忘れた、天の使──

わたしは考えるのを止めた。これ以上の想像は不敬にあたる。

ひとしきりわたしの身体を抱き締めると、ルカは黙って歩き出した。わたしの手を引っ張り、ぐいぐいと進むため、せっかく見つけたスノードロップを一輪も摘めずに帰宅した。
そのままルカは台所に立つと、黙々と調理を続けた。
深鍋に少量の油脂をあたためてから、一口大に切った香味野菜と薄く切った塩漬けの兎肉を炒める。香ばしい香りがたちのぼったところで、下茹でしたまるい豆も入れ、小麦粉を混ぜてとろみをつける。風味付けにワイン、それからたっぷりの水を入れ、弱火でじっくりと煮込んでから、兎肉シチューの完成だ。

テーブルに着き、小さな小さな銀杯に果実酒を注ぐと、ルカとわたしは食前の祈りを神に捧げた。
酒を口に含むと、ほろ苦いハーブの香りが広がり、空腹の胃を刺激する。私はパンをちぎって、じっと見つめた。茶色がかっていて固い一般向けの二級品ではない、上等の小麦から作られた柔らかな白パン。ルカを慕う信者からもらってきたばかりの品だ。
果実酒も香味野菜も、ウサギの塩漬け肉だって、どれも敬虔な信者による寄付ばかりで賄えている。

彼の、柔らかで品のある、人好きのするあの笑みに、癒されている人は多いのだろう。
わたしだって、そうだった。

「もしかして、口に合わなかった?」

首を傾げて尋ねる仕草は、正体を知った上でも尚、胸をくすぐってくるのだから質が悪い。

「ご機嫌斜めかな? ──おいで」

わたしはふらりと立ち上がる。吸い寄せられるように彼の元へ向かい、いつものように膝の上に乗ると、首元に手を回した。

「では、いつものように飲ませてあげよう……ね?」

銀杯に足された果実酒を、口移しにより飲まされる。とろとろと喉へ流し込まれていくうちに、身体が熱く疼きだす。

……ねえ、毒が入っているかを確かめるための酒器だなんて、そんなこと、誰が広めたの。
だって、ほら、色なんてちっとも変わってないのに、飲むたびに彼が欲しくて、欲しくて、気が狂いそうになっていく。
だから、きっとこれは毒。くすんだ空と同じ目を見ただけで熱くなる、毒なの。

「ああ、最愛の人……なんて愛らしくて、可憐なんだろう」

低い声で囁かれながら与えられる悦びに、頭の芯がとろとろと蜜がけのようになっていく。
ぼうっとした頭で喘いでいるうちに、あたしの頭に、とある光景が浮かびあがった。

それは、嵐の夜の後から見るようになった夢。
起きた瞬間にはもう忘れている夢。
幸福と残酷な光景がふわふわした中で繰り返され、わたしは誰かの名前を呼んで、いつもそこで終わってしまう。

『        ! 』

ああ、そうか。

そうだったんだ。

胸が高鳴る。
鼓動が早まる。

──この名を呼んでしまったら、あなたは、どんな反応をする?

指に絡んだ黒髪をなぞり、わたしはそっと唇を開いた。